『神は乗り越えられない試練を与えない』ってよく慣用句が使われるので、それの元ネタについて書いておきますね。
元ネタは聖書
聖書の
コリント人への手紙第一10章13節
って箇所で、そこの部分には、こんなふうに書いてあります。
神は真実な方ですから、
あなたが耐えることのできない試練にあわせません。
むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
「あなたが耐えることのできない試練にあわせません。」っていう箇所が、『神は乗り越えられない試練を与えない』っていうふうになっているんでしょうね。
なんか、『これを誰々が言ったんだよー』って、たまにまちがえて書いてあったんで、え、これは「聖書の言葉ですよ。」ってうんちくいっておきます。
1 Corinthians 10:13 New American Standard Bible (NASB)
and God is faithful,
who will not allow you to be tempted beyond what you are able,
but with the temptation will provide the way of escape also,
so that you will be able to endure it.
まあ、キリスト教文化圏の外人ならみんなしってるんで、「コリンチャンス10:13でしょ」って言えばわかると思います。
日本人にとって試練のイメージ
ぼくが、面白いなって感じているのは、
日本人は、試練というのは、『乗り越える』『壁を打ち破る』『試練に打ち勝つ』みたいな立ち向かう戦うイメージ
壁が大きく立ちはだかっていて
その壁をこわすために、真正面から戦うイメージ。
日本人は、まじめだから、壁があったら、真正面から猪突猛進で正攻法で立ち向かっていって、自分が死ぬか?相手がたおれるか?までとことん戦うイメージなのかな?
なので、「神は乗り越えられない試練を与えない」という言葉が、ちょくに、『困難に真っ向から立ち向かって戦え、打ち勝って勝ちきるまでできるよ』みたいに
スポ根てきな応援のメッセージとして取られえてる人が多いんだなー。ってこと。
聖書の中での試練のイメージ
それに対して、このコリンチャンスの書では、
試練との向きあい方は『エスケープ=逃れる』『脱出』のイメージ
で、語っているんですよね。
「逃げろ、うまくかわせられるように、脱出ルートもあるから、よく見て」って言ってるように聞こえますよね。
四面楚歌ぽいところに囚われちゃったように見えるシチュエーションでも
リラックスしてて、頭が冷えていれば、意外とエスケープできる隙間を見つけられる。
日本式の理解が、猪突猛進イノシシ型だとすると、原著の聖書は、どこか、ネコ科のするっと隙間から逃げていくイメージに感じます。
藤田の「神は乗り越えられない試練を与えない」理解
ネコ科の考え方
ネコの思考になるんだ。困難、試練は、ぶち当たって破壊、壊すイメージじゃなくて、
スルっと、ニュルっと抜け出ちゃうイメージの視点で見れるようになろう。
「お、こんなところに通れる脱出口があるやんけ!」
って、いい解決策があるはずだ。
頭をひやして見る!
いままでのやり方で、治らなかった。このままの方法じゃだめなんだ。じゃあ、他のこと、たとえば思い切って反対のことをしてみたら、どうか?前に進んでダメなら、横から行く、あえて逆に下がって引っ張ってみる。
って、視点の切り替えができるかどうかじゃないでしょうか?
どんなに困難で、絶体絶命ぽいシチュエーションにおちいっても、冷静で、呼吸が整ってて、頭が冷えてて、思考が柔らかくなっていれば、抜け道が見つかるよ!
もし、自分が体の不調で悩んでたら
もし、体の不調でまいっている人にとっては、頭の中までカチンカチンになったらダメだよ。
「歯を食いしばってリハビリだ!」「汗をながして痛みがあってもトレーニングだ!」「それだめダメならもう手術しかない・・!切ってとっちゃえ!」と、近視眼てきになると、イノシシ型になっちゃうので。
かならず、治せる方法はあるはず、脱出ルートはあるはず、頭を柔らかくして、いろんな視点から見てみよう。って励ましている言葉だと思うね。
もし自分の仕事がうまくいってない時
仕事でうまくいかないとき、お金を失った、仕事を失った。それは、まちがいなく困難、試練ですよね。
そんなときに、「いや、俺はこの試練を乗り越えるぜ!って、もういっかい最初からやってやるぜ!」「もっと働けばいいんだ!もっと頑張ればいいんだ!」ってなると、もうまわりが見えてない、猪突猛進イノシシ型野郎になってしまうので
仕事で困難があっても、ここはひとつ、ゆっくり休んでお茶を飲んで、リラックスして頭を冷やしたいですよね。
で、冷静になって、いちど、右向いて、左向いて、目を近視眼からやすめてあげると、意外な発見があるんじゃないかと思う。
つねに「ぜったに、脱出ルートがあるはずだ!」って、”冷静な視点で、ものごとをみられているか?”自分に問いかけたいですよね。
ぜったい、最適解をみつけられるはずです。
『そんな風にネコ科のクールな男になりなよ!(笑)』って考え方を提唱しているのが、この聖書の言葉だと思いますよ。