その通りです!ポルトガルの船が大西洋を横断してアメリカ大陸に到達する際、貿易風 に乗るために、まず東から西へ進むルートを取ります。
そのため、最初に到達する場所として、カリブ海の島々(現在のキューバ、ハイチ、ドミニカ共和国など)やその周辺 が重要な拠点となりました。
ただし、カリブ海地域の最初の大きな植民活動を行ったのは主にスペインでした。
ポルトガルは、1494年のトルデシリャス条約によって、新世界(アメリカ大陸)のうち、現在のブラジルにあたる地域を勢力圏とし、それを拠点として植民活動を進めました。
しかし、ポルトガルの船にとってもカリブ海地域は貿易や補給の観点から重要でした。貿易風に頼る航海では、この地域は戦略的なポイントとなり、多くの国々がその支配権を巡って争いました。
ポルトガルの船が大西洋を横断してブラジルに到着する際、最初に到達する可能性が高いのは、現在のブラジル北東部の海岸線です。
具体的には、レシフェ(Recife) や サルヴァドール(Salvador) といった地域がその候補となります。
理由
貿易風(東風)を利用したルート
赤道付近の貿易風に乗ると、アフリカ西岸から南西方向へ進むのが効率的です。
この風の流れに沿うと、ブラジル北東部の海岸(現在のペルナンブーコ州やバイーア州)に到達するのが最も自然なルートとなります。
最短距離
アフリカ大陸のカーボベルデ諸島(ポルトガルが利用した補給拠点)から出発すると、最短距離で到達できるのはブラジルの北東部です。
特に現在のレシフェ周辺は海流や風の流れに最適な地点です。
歴史的背景
ポルトガルの探検家ペドロ・アルヴァレス・カブラルが1500年にブラジルを「発見」した際も、まず北東部(現在のバイーア州ポルト・セグーロ付近)に到達しています。
したがって、ポルトガルの船は貿易風を利用して、ブラジル北東部の沿岸に到着することが一般的であり、その地域が彼らの「入口」となりました。
大航海時代の航海技術を考えると、ポルトガルからブラジルに行く方が、キューバに行くよりも早かったと考えられます。以下にその理由と推定所要日数を説明します。
ポルトガルからブラジル
距離とルート:
リスボンからブラジル北東部(例: レシフェやバイーア州)は約6,000~7,000km。
航路は大西洋を南西方向に進み、貿易風(東風)を利用します。
当時の平均的な速度は日あたり約100~150km程度。
所要時間:
約40~50日程度。
理由:
貿易風と海流(北赤道海流)を活用でき、比較的スムーズな航海が可能。
ポルトガルからキューバ
距離とルート:
リスボンからキューバ(例: ハバナ)は約7,500~8,000km。
アフリカ沿岸を経由し、大西洋を横断してカリブ海に入ります。
カリブ海に入る際、海流や風向きの影響で時間がかかる。
所要時間:
約60~80日程度。
理由:
キューバへの航路は、カリブ海内で海流や風が複雑なため、速度が落ちやすい。また距離がブラジルより長い。
比較
ブラジルの方が近い: 距離が短い上、貿易風の追い風を効果的に使える。
キューバの方が遅い: 距離が長く、カリブ海内の風向きが航海を妨げる場合が多い。
当時の航海技術の限界
航海の速度や日数は天候や季節に大きく左右されるため、あくまで推定値です。しかし、ポルトガルから見るとブラジルは「貿易風に乗って行ける最初の大陸」として非常に重要な拠点でした。
一方、キューバへの航路はより冒険的で複雑だったと言えます。
大航海時代にポルトガルの船がアメリカ大陸から帰る際には、主に 偏西風 を利用しました。
詳しく説明
貿易風 は赤道付近の熱帯地域で東から西に吹く風で、大西洋を西進する際(ポルトガルからアメリカ大陸に向かう場合)に利用されました。
帰り道(アメリカ大陸からポルトガル)は、北大西洋の中緯度地域で西から東に吹く 偏西風 を利用しました。
さらに、ポルトガルの船は北大西洋の「風の回廊(大西洋の風の循環パターン)」をうまく活用して航海しました。
これには、北東貿易風、偏西風、北大西洋海流の流れを合わせたルート(「ヴォルタ・ド・マール」という航海技術)が重要でした。
この技術により、船は直接戻るのではなく、一度北東方向に進み、偏西風を捕まえることで効率的にヨーロッパに帰ることができました。